第10回 木育・森育楽会 開催レポート
「木育で実現する2050年の社会」~木育プレイヤー100団体の集い~
対面 (2日間) |
2024年10月19日(土)10:00~18:00 10月20日(日)10:20~16:00 |
オンライン (2日目) |
オンライン配信は2部から(13:00~16:00) |

10回目を迎えた木育・森育楽会を、神奈川県小田原市において開催しました。テーマにもとづき、小田原地域の状況や課題の共有、そして2050年に向けた森林、林業、木材利用、そして木育のあり方について、意見交換を行いました。初日には、小田原市、小田原地区木材業協同組合等が開催する「きまつり」に参加、出展し、木育プログラム、教材等の展示とともにワークショップの開催、大学生スタッフによる木と森についてのクイズ大会、木材利用の意義についての啓発活動などを行いました。2日目は、講演等を中心に構成し、展示やワークショップも実施しました。第1部を除く全編をオンラインで配信しました。その様子をご覧ください。
第1部「小田原の木と森の未来」
第1部は都合により配信がありませんでしたので、長文のレポートを掲載しております。ぜひご高覧を。
出演:髙木 大輔(竹広林業 代表取締役社長)、
佐藤 健(小田原市森林組合)、
辻村 百樹(T-FORESTRY 代表取締役)
佐藤 岳利(佐藤岳利事務所 代表取締役社長)
はじめに登壇者から自己紹介を兼ねて、小田原市でのそれぞれの取組についてお話がありました。
髙木さんからは、小田原の名産である寄木細工、かまぼこなどの紹介、小田原地区木材協同組合、小田原林青会の取組、小田原市の森林環境譲与税で毎年1校木質化している取組などが紹介されました。
佐藤健さんからは、森林組合で進めている森林整備、森林・林業の普及啓発、木づかい事業や森林環境教育の取組などが紹介されました。
辻村山林の辻村百樹さんからは、小田原の歴史-江戸時代は富士山の噴火など災害が多く、小田原城は3回建て直されていることなどのお話。辻村家は商家でご自身は8代目であること。小田原で森林を所有することになった経緯(150年以上にわたる歴史がある)などのお話がありました。
そこから続けて辻村さんに、ご自身が里山を所有されている立場から、里山の役割についての話をしていただきました。「里山の役割は主に4つあって、1つめは素材生産。木材を生産・供給する役割。2つめはエネルギーの供給。里山は昔(電気やガスがない頃、人々の生活に欠かせない)エネルギーの供給をほぼ担っていました。現在、薪炭林はスギ・ヒノキの人工林となり、川の水量は昔の半分位しか流れていないようになっていますが、これは育った木々が水を吸っているからでもあります。3つめは生態系の保全。(昨日の「きまつり」の会場となった)「いこいの森」でもムササビツアーをやっていますが、ムササビのほかキツネ、シカ、イノシシなどが生息しています。シカは木の皮を剥ぐしイノシシは竹の子を掘るので農林家にとっては害獣です。農林家はこれら獣と戦ってきました。4つめはアドベンチャー。アドベンチャーが良いところは必要となるのはお客様のエネルギーだけ。「いこいの森」ではラヴォンチュール(冒険)、マウンテンバイク乗り、最近はテントサウナが人気で一日100人位がサウナを利用しに来ています。」と、辻村山林での取組を踏まえたお話でした。
次に、パネルディスカッションでは、ファシリテーター佐藤岳利さんの進行のもと、辻村さん、佐藤健さん、髙木大輔さんの4人で「小田原の木と森の未来」について語られました。
まずはじめに、辻村さんから、ご自身は東京生まれ東京育ちでサラリーマンをした後、小田原の山林経営を継がれたこと。森林サービス産業という言葉がまだない15年ほど前から「フォレストアドベンチャー」という事業を営まれることとなったことを紹介され、そこから髙木さんや佐藤さんが小田原での森林・木材利用関係の取組を話されました。
佐藤岳利さんから「木材生産と生物多様性の共存をどうしていますか?」との問いかけに対し、佐藤健さんは「人が増えすぎているから環境破壊が起きているけれど、一方で人がいるからまだ間に合うかもしれないということを速水林業のフィールドで行われる『林業塾』で聞いて考えさせられました。生物多様性30by30という取組も始まっています。人が置かれた立場によっていろいろな価値観がありますが、次の世代に森林を残していきたいと思います。」とのお答えが。また、「事業の予算に限りがある中で生物多様性などと言っていられないというのはないでしょうか?」との問いかけに対し、「生物多様性への反対というよりは、木材を提供するまでの時間の取り方に違和感を持っています。木は成長・熟成するまでにかなりの長い時間がかかりますが、需要者からは地域の材を使いたいのですぐに木材を供給して欲しいとの声があります。しかしすぐに木材を供給できるものではないことを理解して欲しいと思っています。」とのお答えがありました。
「小田原らしさとは」については、佐藤健さんから「小田原らしさというのは、穏やかでのんびりしていることと思います」、辻村さんからは「山や海が身近にあって当たり前過ぎて、逆にその良さがよくわからなくなっています。交通の便では東京に40分位で行ける便利な立地にあるので、小田原らしさが失われていくように思っています」、髙木さんからは「川上、川中、川下の仕事に携わる人達がすぐ集まることができ、連携しやすい。森林から木材まで関わる人達がお互いの顔が見える、ということが良い点と思います。以前、林野庁から小田原市役所へ初めて出向してきた永井さんに、地域で飲み合いながら様々な取組を始めてもらって、現在まで林野庁からの出向者が6代、12年間続いています。小田原市役所が身近になり、いろいろな取組が進みました。」とのお話がありました。
最後の方で、辻村さんから「①木のビジネスは、「伐って」というところから始まるように言われている。今ここにあるものから始まる、というのはいかがなものかと思います。ここにあるものはどうやって始まったのか。木を植え、3代、4代かけて育ててきたのです。コストをかけてきたのです。かかったものを明確にして利益に乗せるのは当たり前ではないかと思うのです(それが今はできていない)。②木育・森林空間の利用では、子どもによっては木に登れない子もいたり、いろんな子達がいます。できないと親が「いくじなし」としてしまいがちで、そうなるとネガティブな要素になります。リタイヤしても良い、画一的な木育でない、押しつけない木育が重要だと思っています。フォレストアドベンチャーについては、木の上から眺める機会はなかなかない。そういう体験があってもよいのではと思って始めました。木育と森育は非常に重要と思います。」とのお話がありました。
佐藤岳利さんが、最後に「『小田原の木と森の未来』について、キーワードは多様性かと思っています。辻村さんの森林の経営管理については、今年度、農林水産祭天皇杯の林産部門を受賞されました。受賞理由は『T-FORESTRY』で、所有されている森林空間をレクリエーションの場として整備され、幅広い利用者を呼び込んでおられることが評価されたとのことです。今、そのような時代になってきているのです。」という言葉で締めくくられました。
令和6年1月1日能登半島地震、令和6年9月21日能登豪雨災害についてと支援のお願い

第2部の前に、特別な時間を取り、砂山さんから令和6年1月1日能登半島地震、令和6年9月21日能登豪雨災害について、現地の状況のご説明と、支援のお願いについてお話をいただきました。
砂山さんは金沢在住で、いち早く被災地各地へボランティアに行かれ、現地の状況や何が必要とされているか、生活者の視点で細やかに多くの方に伝えてきてくださっていました。林業従事者の方が自身も被災している中、道を通すために危険な山崩れや倒木でふさがれた中を復旧に当たっていることから、いてもたってもいられなくなり、もりラバー林業女子会@石川として作業に必要な道具などを支援するクラウドファンディングを立ち上げ、見事達成しています。
現在も週末のボランティアに向かっている砂山さんは、楽会参加者にも「能登に来てください。それが力になります」とメッセージをしっかりと送ってくださいました。
第2部 「木育のあり方についてのオープン会議」
森林林業、木材利用、ものづくり教育、子育て支援に関わるエキスパートが、2050年の未来、木育について語り合いました。
出演:
津高 守(座長/JR九州コンサルタンツ 代表取締役社長)
田口 浩継(※熊本大学教育学部 教授)
浅田 茂裕(埼玉大学 教授)
砂山 亜紀子(もりラバー林業女子会@石川 代表)
馬場 清(※東京おもちゃ美術館 副館長/認定NPO法人芸術と遊び創造協会 副理事長)
【発言抜粋】
田口 林業系の生徒はある程度理解しているがその同世代の子たちは「森は怖い」と。森で働く、というイメージさえ持っていない。体験をしている世代がこの先20年を引っ張っていく必要がある。
津高 木とともにあることが普通になって、いい意味で「木育」という言葉が使われない世の中に。木に触れる社会に。
砂山 そのために私たちが何をするのか、子どもたちの経験がどんな社会をつくるのか。今の状況は「植えて育てる」という部分が抜け落ちていないか。
馬場 木育についての浅田先生のアンケート結果で「環境を守る」ということが出てこなかった。木のおもちゃで遊ぶだけでなく、ここにつなげなくては。どのように伝えればよいかずっと考えている。木のおもちゃは入り口としてはハードルが低く、嫌いな人もいない。そこをきっかけに環境への関心を向けていく。
津高 SDGsの17の目標は全部つながっているという気持ちで。
砂山 女性は木が好き、使うのも好き。でもどこからその木が来たか、などということは知らない。お母さんたちに対するアプローチは?
馬場 赤ちゃん木育広場では親へのアプローチもしている。スタッフもいてその話をするチャンスもある。でもお金を払って来ているのに、そんなうんちくは聞きたくないという人もいる。
砂山 そこを語れるスタッフさんがいるのが強み。親世代にこそ木育は必要。でも「大人になってからでは感受性は育めない」と、とある会合でとある教授に言われた。
田口 高齢者になって始めても、可能性はある。子どもより大人が一生懸命になってやっていることも。木にかかわることはいろんな世代に有効。
浅田 調査結果に腹が立っている。「木育は環境に良い」というが、20年やってきて森はよくなったのか、と。例えば木のおもちゃは消耗も激しいし、回りもよい。それはよいとして森はよくなったのか。森に返す仕組みは考えているのか。
馬場 地域材は必ず使うようにしている。そのお金の配分までの仕組みはまだつくられていないが。きちんと考えていくべきだと思っている。問い合わせも多く、責任も重いと思っている。
浅田 もう一つ腹が立っているのは、調査結果に子どもの姿が見えてこないこと。文化、森林の継承といった願望や期待だけが出過ぎている。木育を学んで、そのうえで木育以外に進む人を育てたい。
田口 身近な木をとして知っているようで知らなかった、という学びの意義を提供できる。自己攻略感、完成といた全人的な育成に効果がある。木はとてもいい学びの素材。
津高 九州ではだれも手入れをしていない山で竹がのしている。50年前に切り替えた線路の跡が竹藪化。年に数回、社員を連れて竹を伐りに行っている。竹の問題に取り組む団体と横連携をしている。竹藪化した山は崩れる。次の世代につなげるアクションを起こしていく。一足飛びに2050年には行けないから。
馬場 機会の創出はある程度できている。「育」の部分。それが大切だと思っているがエビデンスが出しづらい。本当に木「育」キャラバンになっているのかをいつも問うている。
田口 やるべきことをしっかりとらえている方がここ(木育・森育楽会)には多い。ストレートに言うと変人、変態扱いとなる。一般の方の認識とギャップが。理解した人は行動・発信していくことが必要。
砂山 情報は取ってこようと思えばいくらでも入ってくる。自分にとっての「本当」を自分の言葉で語れる人。それを増やすことが私にとっての木育だと思う。2050年に向けて変態が当たり前の世の中に。
津高 私自身は部下に年2,3人チェーンソー講習を受けさせている。なかなか使う機会はなくとも、しっかり里山の風景を残す、そういうことを考えられる部下を育てることが私の「大人の木育」。
浅田 「森や文化を継承させたい」ということではなく「継承したい」社会をつくる。何となく予定調和で「(そうだよ)ね!?」というプログラムが多い気がする。継承したくなるような森、社会、未来を作っていけたらと思っている。
第3部 2050年の社会に向かう、木育・森育実践者 「人生の午後を森と過ごし、死んでそして森になる。」

出演:赤池 円(ハヤチネンダ 理事/私の森.jp 編集長)
プレゼンターは赤池円さん。一般財団法人ハヤチネンダ 理事 の立場としての登壇です。
2050年の社会に向けて「人生の午後を森と過ごし、死んでそして森になる。」という、しん、と心に響いてくる大切なお話に、会場の参加者も深く聴き入っていました。
ハヤチネンダの埋葬プロジェクト 「いのちを還す森」について
岩手県遠野市附馬牛町で活動する一般財団法人ハヤチネンダ。
「遠野物語」で知られる遠野は三山に囲まれた盆地に広がる田園が美しいところ。馬産の地としても知られ、夏、馬たちが放牧される荒川高原の景色は「文化的重要景観」のひとつだ。
「いのちを還す森」は早池峰山系の南麓に位置し、カエデ、コナラなど広葉樹を主とする美しい二次林。近くに水田や住居の跡があることから、薪炭林として利用されていたと思われる。総面積1.7ha(17,000㎡)のうち、4,500㎡を墓域として許認可済み。
実際に埋葬した様子を記録した動画を見ていただく。林床の30㎝程度を掘り、豊かな表土を形成する土の塊をとりわけておく。その下を掘り進め、粉骨を土とを混ぜて埋葬し、その上に最初に取っておいた土の塊を戻す。林床には墓碑をおかず、元通りの風景になる。
私たちはやがて別の命に取り込まれ、未来の風景の一部になる、そういった考え方に共感できる人たちに仲間になってほしいと考えている。
人口激減とともに、世帯人数も減り、2050年には2人を割る。現代の暮らしに合わなくなってきたのが葬送のあり方。多死社会と孤立化が始まり、家族で墓を継承していくことは難しく、「迷惑をかけたくない」「何も残したくない」という声をよく耳にする。しかしこれはもったいないと思う。たった「一回しか死ねない」人生だから、自分の「死」をもっと大切に扱うことに意味があると考える。
お墓の風景がどうであったら美しいか。地方で見られる廃屋の裏にポツンと取り残されたようなお墓の風景は寂しい。都市に残された小さな墓地も窮屈そうだ。そういう風景が「迷惑」「何も残したくない」という考え方を後押しする。
それらを課題として生まれたのがこのプロジェクト。
会員制で山の手入れ作業をできる人が月に一度行って行う「森入リ」は、いつか死んで還る風景を未来につなぐ。例えば征服的な植物であるススキを手作業でそれだけを抜いていくことを数年やっていくと、それまで見えなかった土地の植物がよみがえってくる。光の入った林床にカタクリが増えてきたりするとみんな嬉しい。
このプロジェクトはいわゆる「樹木葬」ではない。
単に森林にお墓を持つことが目的ではなく、「より良く死んで」未来に希望を託す仕組みを目指している。昔の人のように「そろそろあの山に還るよ」と次の世代を慈しむような、そんな心持ちに近づけたらいいなと思う。人と人、人と自然との「いのちの関係性」を取り戻そうとする中で得られることは多い。
〈人間中心〉を超え、還るところのある〈いのち〉のあり方を提案したいと思っている。
〈山川草木悉皆成仏〉 草にも川にも何にでも仏性(いのち)がある。自分世代の寂しさを残すのではなく、美しい風景を未来に渡していくことが希望になると思って、このプロジェクトを続けている。
第4部 基調講演「木育で実現する2050年の社会に向けて」

講師:若杉 浩一氏(武蔵野美術大学 教授)
武蔵野美術大学 造形構想学部 クリエイティブイノベーション学科 教授、若杉浩一氏による講演です。2050年の未来に向けて、木育、森育が何を目指すべきか、様々な事例から問題解決の糸口をデザインの視点から語り尽くします。怒涛の55分。
宮崎県日南市の子育て支援センターではコミュニティのデザインをする中で、子どもたちと高齢者が関わり合い、ともに支え合う関係ができる。そこから生まれる美しい幸せな空気が、年間5万人を動員する施設を作り、商店街も活性化していく。
他にも、生き残りのために地域のデザインを行う医療施設。人口が減る中このままでは医療を維持できなくなる。そこで地域で医療を支えるインフラをつくらないといけない状況になっている。こういうところに一つのデザインのきっかけがある。
田辺市のシャッター商店街の事例も。とりあえずシャッターを開けたら高校生がその前で焼き鳥を焼いたりとし始めた。その結果商店街が活性化し、空き店舗は1つだけに。大人じゃ崩せなかったことを高校生たちが一生懸命やることで、心が開き元気になり、お互いに助け合い町を変えていくことにつながった。
「市民」と呼ばれる中に入れられない高齢者と子ども。3分の2が社会参画できていない。町づくりの中で高校生大学生を入れて老人が関わってくると、子どもたちの力が老人に自己肯定感を与え、子どもたちも生の社会の中で、どんどん育って行く。いずれこの人たちが地域を支えていくことになる。子どもと老人、「新しい市民」と呼ばれる人たちの社会参画が社会を変えるインパクトになるのではないかと思っている。
杉から始まってずっとデザインの未来を考えてきた時に、我々は便利な社会をつくる様々なルールや道具やシステムをデザインしてきたのだが、どうやらそれを支える人や共同体の存在が、本当は社会を動かしていくという大きなデザインの対象ではないかと思っている。変えなければいけないのは、我々の気持ちや共同体。そういう社会造形ということを大学で教えている。学生たちがいろいろな地域に行き、地域の暮らしに入って、東京よりも地域の方が可能性がある、と気付く。山林の問題は都市の人と森の人がつながることである、というようなことを考えはじめる。
知り合い、仲良くなり、お互い助け合うという関係、社会を支え合うというような関係のデザインが重要じゃないかと、学生が言い始めます。これって意外と重要なテーマがひそんでいる。このプロセスは面倒くさい、がゆえに可能性があるってこと。
木育・森育は社会を再生する人づくりではないかと思っている。本来は我々の自然環境や社会を支えていく始まりの始まりは森にあり、森から出る様々な資源、そういったものを考え、再生させる人が出来上がるということがポイントなのだろうなと。我々は経済的な持続性を重んじるばかりに、他人事の社会観や合理性、お金、経済発展という絶対性を信じてきたが、それは果たして未来だったのか。今、夢や希望や幸せが圧倒的に少ない。見失ってきたこと、それをどうすべきかが新しい面白い社会になるためのポイントかなと。それをつくれるのが我々そのものであって、そういう人たちがつながり合いながら未来を創っていくのだろうなと思っている。
その他展示の様子など

最後は時間との戦いで、会場の撤収を参加者の皆さまも巻き込んで行いました(ありがとうございました!)そして恒例の集合写真!
前日から参加のメンバーは懇親会や2次会などを超えての長時間でのお付き合い、そして当日参加の方も日本各地からのお越しいただき、ありがたい限りでした。
アンケートをちょこっとご紹介します。
「楽会では、木について多様な目線から様々な立場の人からの話が聞けたため自分が普段いる業界の目線だけでなく様々な視点をもって活動に取り組めるきっかけとなる場であった。」
「第1部では、小田原の現在の木に関する取り組みや背景をご活躍の3名からお話しを伺うことができ、小田原市民として大変貴重な機会となりました。」
「木育とは何かという原点に立ち返ってオープンに話せる機会を持ててとても良かった。」
「(19日のきまつりでのWSでは)浅田先生の子供に接する姿勢が勉強になりました。子供を子供扱いすることなく、ひとりの人間として向き合っている姿がとても勉強になりました。」
10月19日の「きまつり」の様子
◎主 催:木育・森育楽会実行委員会/NPO法人木育・木づかいネット
◎共 催:小田原地区木材業協同組合、小田原林青会
◎後 援:小田原市、きまつり実行委員会
◎協 賛:小田原市森林組合